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2017年2月発表

詩集と実践

『贈る言葉』 

この作品を作る前に、シェイクスピアのテンペストの戯曲を読み、その終わり方に感動した。拍手を求める魔法使い。閉じていくカーテン。

私は《1,000,001》の時から、フィクションの中でしょっちゅう人が死ぬこと、またフィクションがしょっちゅう終わることをずっと気にかけていた。この現実にいない彼らの死、終わりはなぜこんなにも要請されるのだろう。  

私はまず人が撃たれて倒れていく詩を何編か作った。そのあと人間の皮膚の総量と同じ量の木工用ボンドに絵具を混ぜて板に塗りたくり、その板に詩の中で倒れていく人の指先の軌道を何本も引き、書き出された線に合わせて板を切りわけた。この作品はその板たちを組み合わせ自立させた構造体である。 この作品は分解し違う形に組み直すことができる。人が撃たれる詩は何度でも作ることができる。

2017年8月に実際に和光大学ポプリホール鶴川にて再展示を行った。詩を新しく書き直し、違う形に組み替えた。しかし、倒れたら危ないという理由でガードの奥での展示という当初の予定とはかなり違った展示となった。

現在の(2017年10月)この作品についてだが、塀に固定するための穴などによる破損も著しく、また物理的な保管スペースの問題から一枚の板材を残してそのほとんどを廃棄してしまった。

しかし、だからといって人が撃たれる詩を書くことができなくなるわけでは、全くもって、ない。だからまた私はこの作品を作るだろう。

記録写真↓

https://flic.kr/s/aHskRRrkio

詩集とその振付け

『アフターアワーズ』

激怒しながら入ってきます、と言い残された観客は

一時間のカウントダウンを眺めることを指示されるも、

カウントダウンは途中で隠れる。

映像も静止し、観客は所在無げに各々の過ごし方を模索する。

また始まったカウントダウンがゼロになっても特に何も起きない、

ドラッグ体験談をBGMに次々に静止画が表示される。

不意に、作家が予告通りに激怒しながら戻ってくる。

荒々しく引き抜いたコンセントに向かって

「馬鹿なこと言ってんじゃねえ」と絶叫し、終わる。

写真 ©︎永田康祐

ケンタウレvsケンタウレ

はじめ、留まっている不透明なわたしたちの電気のなかで ケンタウレvsケンタウレとはポロの試合であった。 不透明な電気はいままで絶えず走りつづけ ポロの試合として(ほとんど教育されつづけ)眼前に組み上げられたケンタウレvsケンタウレはポロの試合である。 試合には闘争があり、選手がいて、グラウンド、汗、ボール、ルールがある。 例えば、わたしたちが執拗に切り出した肌色は 速すぎて見えないボールの軌道で、 ユニフォームの下の汗ばむ、汗の乾いた、汗をかく前の身体である。 組み上げられたものたちには、端的にそうなってしまった結果であり、試合を構成するおびただしい何か(ひとつではない、不透明な電気)としてある。 ケンタウレvsケンタウレにおいて、 これはこれであり、それはそれであるだけだ。 またひとつ例を出せば、ポロのルールや、ポロの偽物、ケンタウレの神話、その所在、すべて装飾になって紙に載っている。それは単にそうなってしまっただけだ。 単にそうなってしまったことは単に確かで、 そこにある。 指し示す先はがんじがらめに、確かに繋がりまくっていて、それは単にそこにある。 わたしたちの不透明な電気を共有できない以上、確かなものが等しくわたしたちには現れ、 わたしたちはそう思い、わたしたちはこう言う。 それぞれが指し示す先は決まっているけれど それぞれは何を使っても同じで、 つまりわたしたちはポロの試合を、ケンタウレvsケンタウレをどうやったって、いつだって作ることができる。 ケンタウレvsケンタウレとはすごくフリーな状態なのだ。 けれどひるがえって、ケンタウレvsケンタウレがいまただ単にそこにあることは、それだけで 充分すぎるほどかけがえのないことだ。 だからケンタウレvsケンタウレはポロの試合だ。

iPhone mural 出展作品